台湾鉄路局の機関区 1970年代の台湾では大陸中国との対立状態が続いており戒厳令がしかれていました.これはすなわち戦争の状態が継続しているということです.鉄道は戦略上の重要な施設なため、許可なく撮影する事が禁じられ、日本では何ら問題なく自由に撮影できた機関区や駅も簡単には撮影することができませんでした.駅や鉄橋、トンネルなどでは警備する兵士が常に監視していて、その頃の日本では考えられない緊張感です、しかし日本時代に教育を受け美しい日本語を自在にしゃべる人たちがとても親切で、彼等から特に注意されることなく撮影できました。ただし政府の役人さんは厳しかったです。その役人さん曰く、機関区全体の概要が分かる写真は撮影してはいけないことでしたので、あまりいいものはありません.無造作な写真ですが、資料としてご覧ください. |
苗栗機関区(11画像) 苗栗機関区は、山線の補助機関車を担当する機関区で、列車によってはC55とC57が列車の後尾に補機として連結されました。ここは、走行する列車から撮影したのみです。1976年の時は夕方でしかも補機のない列車だったため、高速て通過したため、ぶれた写真しかありません。しかしCK100やDT560があったので興奮したのを覚えています。次の1977年は補機を連結する列車だったので、苗栗で停車し機関区も低速で通過したため、比較的明瞭な写真が撮れました。ただし1976年に居た珍しい機関車は居なくなっていました。 |
台中機関区(5画像) 機関区での撮影許可は下りませんでしたので、駅からひそかに撮影したのみです。扇形車庫はなく、転車台は奥にあるようで、あまり良い写真はありません。 |
二水機関区(14画像) 1976年と1977年に訪問しました。独立した機関区ではなく、嘉義機関区の分駐所という位置づけで集集線用のC12が配備されていました。縱貫線用のCT150(8620形)とDT580(9600形)もいました。こちらは入換や貨物列車用でたまたまいたというこどだったと思います。 |
新竹機関区(25画像) 1976年に正式の許可を得て訪問しました。通過する列車からも撮影しています.一番機関区らしい撮影ができたところだと思います。CT150(8620形)、DT580(9600形)、DT650(D51形)およびディーゼル機関車が配備されていました。制約が多く扇形車庫方向の撮影は禁止というで撮影後に注意されましたが、フィルム没収ということはありませんでした。
|
嘉義機関区(23画像) 1976年には嘉義駅の跨線橋から遠く機関区を見ただけでしたが、1977年には正式に訪問しました。当時は電化が始まっていたのですが、二水あたりには架線柱のコンクリート柱が建っていましたが、嘉義あたりではまだなにもありませんでした。ここには扇形車庫もあるのですが、1976年より厳しく車庫方向は撮影させてもらえず、機関車が留置している場所でCT250(C57形)、CT270(C57形)、DT580(9600形)、DT650(D51形)および廃車のCK100を撮影しました.
|