Kurogane No Michi ロゴ

香港鉄路博物館

香港鉄路博物館は、九広鉄道の旧大埔墟駅舎をそのまま保存した建物を活用して設立された博物館で、1985年に開館しました。(2000年11月及び2013年11月撮影)

九広鉄道の起源は、1898年に中英公司と清朝政府が九龍から広州までの鉄道敷設権を取得したことに始まります。香港側(英段)は1905年に測量を開始し、1910年には九龍〜深圳間が開通しました。翌1911年には中国側(華段)も完成し、全線が開通しました。 香港側は当初610mm軌間で建設されましたが、全線開通後すぐに1435mm軌間に改軌されました。1911年には撤去した610mm軌間の資材を用いて粉嶺から沙頭角までの支線(11.67km)が建設されました。しかしこの路線は1927年に沙頭角までの道路が開通したことにより、旅客運送が減少し1928年に廃止されました。 当初の軌間は610mmでしたが、後に標準軌である1435mmに改軌されました。また、粉嶺〜沙頭角間の支線も建設されましたが、1928年に廃止されました。中華人民共和国成立後は、直通運転が一時中断されましたが、1978年に再開されました。1983年には民営化と電化が進み、現在の形態へと発展しました。

香港鉄道博物館入口(1)

香港鉄道博物館入り口(1)

鉄道博物館の入り口は2カ所あり、こちらは現在の大埔墟駅から近い側の入り口です。駅名の"墟"は、中国語の方言で定期的に立つ市場を表します。大墟が最初に歴史の登場するのは、漢の「媚川都」としてですが、明代から定住者が現れ、清の康煕30(1691)年に農産物を集めて定期的に市場が開かれるようになりました。これは香港における最古の市場の一つです。現在も博物館の周囲には、農産物魚介類を扱う商店が建ち並んでいます。

香港鉄路博物館入口(2)

香港鉄路博物館入り口(2)

こちらがより鉄道博物館の入り口らしいほうです。大埔墟駅はちょうど中間点にあったため、鉄道が開通すると付近の豊富な農産物や魚介類の集積地として更ににぎわいました。

旧大埔墟駅舎

香港鉄路博物館 旧大埔墟駅舎

大埔墟駅の駅舎は1913年に建設された中国風の装飾を施した煉瓦作りの建物です。九広鉄道英段の他の駅舎はすべて西洋風の建物であったので、ひときわ特徴のある駅舎でした。1983年電化により駅が現在の位置に移転するまで使用されました。1984年には香港政府指定の歴史的建造物に指定されています。入り口から入って右側が待合室、左側が事務室になっています。建物の中には、車両の模型や当時のタブレット閉塞機が展示されていますが、残念ながら撮影は禁止されています。

信号場

香港鉄路博物館 信号場

信号場らしきレンガ作りの建物です。現在は事務所になっていて、ガイドブック等を販売しています。奥に腕木式の信号機、手前には日本と異なる転轍器標識が見えます。

転轍器標識

香港鉄路博物館 転轍器標識

転轍器(ポイント)はどちら方向に開通しているかを示すしるし(転轍器標識)があります。通常の方向(定位)と異なる方向(反位)をしめす図形は日本とまったく異なります。

軌道自転車

香港鉄路博物館 軌道自転車

軌道自転車とよばれる、保線用機械の一種です。二人で上のレバーを動かすことによって、チェーンで動力が伝えられ走ります。ブレーキは人力で右側前にレバーがついています。

軌道自動自転車

香港鉄路博物館 軌道自動自転車 香港鉄路博物館 社紋

軌道自動自転車とよばれる、保線用機械の一種です。エンジン付きで自走します。背面には1949年から1975年まで使用された九広鉄道英段の社紋が書かれています。

電車模型

香港鉄路博物館 電車模型

電車の実物大の模型です。元来は電化の可能性を研究するために建造された物で、車内には一等および普通車の座席、運転台、トイレの設備があるとのことですが、立入禁止になっており、中に入ることは出来ませんでした。なお、2015年には撤去されていてありませんでした。

蒸気機関車

香港鉄路博物館 蒸気機関車 香港鉄路博物館 製造所銘版

1923年イギリスのバグナル製の軸配置0-4-4(B2)蒸気機関車です。粉嶺~沙頭角の支線用の機関車を更新するために2輌輸入されましたが、1928年に支線が廃止されたため、フィリピンのネグロス島のビクトリア製糖工場に売却され、1990年代まで使用されました。香港では1961年に蒸気機関車が全廃され、保存機関車もなかったため、1985年の鉄道博物館開館当時は展示する機関車がありませんでした。その後1995年博物館員の奔走でビクトリア製糖工場で廃車になっているのが発見され、バガス(サトウキビの絞り滓)炊きのテンダー機関車に改造されていたものを原型に復元し、1997年から展示されています。

ディーゼル機関車サー・アレキサンダー号

香港鉄路博物館 51号ディーゼル機関車サー・アレキサンダー号

1954年に導入されたアメリカEMD G12の設計をオーストラリアのクライド・エンジニアリング社で製造した電気式ディーゼル機関車です。愛称は「サー・アレキサンダー」号で、1947年から1957年まで香港総督をつとめたアレキサンダー・グランサムを記念して名づけられました。1997年に廃車となり2004年に本来の塗色に復元のうえ博物館に搬入され保存されました。香港では51~55の6両が使用されましたが、それぞれ愛称がありました。他の機関車も総て香港では廃車され、オーストラリアの観光鉄道で使用されています。

保存客車

香港鉄路博物館 保存客車

九広鉄道で使用された客車が5輌展示されています。左の1輌はあとから追加されたために、屋根のない部分に保存されることになりました。

一等客車車内

香港鉄路博物館

964年製造の一等車116号の車内です。当時は一等車でも冷房がありません。九広鉄道は現在の電車でも必ず一等車が連結されています。

三等客車車内

香港鉄路博物館 三等客車車内

1955年製造223号三等車の車内です。一等車に比べるまでもなく非常に簡単な椅子が取り付けられているだけです。右側が三人がけ、左側が二人がけです。進行方向によって転換式になっています。

荷物車

香港鉄路博物館 荷物車

荷物室がある客車がありました。脇に通路があるところをみると、荷物專用で積み込むのではなく、旅行者が手荷物を預けて受渡ししやすくなっているのかもしれません、これは推測ですが、イギリスなどではまだ手荷物の扱いをしているのを考えての推測です。

客車連結面

香港鉄路博物館 客車連結面

1等車も3等車も乗降口はオープンデッキなので、連結面は幌もなく、車輛を渡る連結器上には渡り柵が設置されています。これは日本の客車とは随分違う雰囲気でした。

現在の大埔墟駅改札口

香港鉄路博物館

在でも大埔墟駅は自動改札がずらりと並んだ大きな駅で、定期売り場や旅客サービスカウンターがあります。いろいろな売店やレストランなどがありますが残念ながら他の駅と比べても特徴がありません。隣の太保駅も同じような雰囲気でした.

現在の大埔墟駅を走る電車

香港鉄路博物館 現在の大埔墟駅を走る電車

大埔墟駅から出発する電車の最後尾の写真です。香港は電車の通行区分が日本と同じで左側通行です。電車は4分~12分間隔運転されているようですが、日本の様な時刻表の表示はどこにもなく、後何分で次の電車が来るという電光表示のみです。

大埔墟駅を通過する東風11形牽引の列車

香港鉄路博物館

中国の東風11形ディーゼル機関車が牽引する直通列車で、中国本土から香港へ乗り入れていました。かつては、広州と香港を結ぶインターシティ列車のほか、上海や北京への長距離列車もありましたが、2024年に広深港高速鉄道が開通したことにより、すべての直通列車は廃止されました。

2025年現在、1974年に導入され2021年まで使用された、G26形60号電気式ディーゼル機関車ピーター・クイック号が2024年から追加展示されています。