
シルドンの鉄道関連遺跡
イギリス北東部にあるシルドン(Shildon)は、鉄道史において特別な意味を持つ町です。「世界初の営業用鉄道」として知られるストックトン・アンド・ダーリントン鉄道(Stockton and Darlington Railway、以下S&DR)が、1825年に開業した際の重要な拠点となりました。 同年9月27日、最初の列車がシルドンを出発し、ダーリントンを経てストックトンまで運行されました。この列車には石炭や乗客が乗せられ、ここから「鉄道の歴史」が本格的に始まったのです。シルドンはまた、ウェスト・ダラム炭田で産出された石炭を集積し、ストックトン港まで運ぶための積み出し基地としても重要な役割を果たしていました。鉄道運行を支えるため、シルドンには数多くの鉄道関連施設が建設されました。これらの一部は現在、シルドン鉄道博物館によって保存・公開されています。建物内の見学は入場無料で、水曜日~日曜日の10:00から17:00に公開されています。
シルドン駅




ストックトン・ダーリントン鉄道の鉄道の始発駅として開業したシルドン駅ですが、現在はノーザン鉄道(Northern Trains)のティーズ・バレー線(Tees Valley Line)の途中駅として営業しています。ダーリントン(Darlington)駅から4つめの駅で、所要約20分ほどです。現在の列車はサルトバーン(Saltburm)からダーリントンを経由してシルドンの先、ビショップ・オークランド(Bishop Auckland)までが運行系統となっており、平日は1時間に1本、休日は1~2時間に1本運転されています。 シルドン駅は現在無人駅となっていますが、ホーム脇にはレンガ造りの信号所があります。いまも腕木式信号が使用されています。特徴的なのは、信号の腕木の背後に白い板が取り付けられている点です。これはおそらく、遠方からの視認性を高めるための工夫と思われます。日本では見かけない仕様で、イギリスならではの設計と言えるでしょう。 この路線で運転されていたのは2両編成の気動車で、通称「ペイサー(Pacer)」と呼ばれるクラス142形です。この車両はボギー台車を持たない2軸単車構造ですが、乗り心地は比較的快適でした。これは線路の保守状態が良好であることが大きく影響していると考えられます。
ハックワースの家


ストックトン・ダーリントン鉄道の初代機関車監督官(Superintendent of Locomotives)であったティモシー・ハックワース(Timothy Hackworth)の家です。妻と息子2人と娘6人、さらに使用人が住んでいました。ここからは、近くにある工場へ徒歩で行く事ができて便利でした。この家はその後ハックワースの後継者であるウィリアム・ブッチが1875年まで住み、のちには鉄道の上級職員の住居となり、さらに2つの家に分割され鉄道労働者が住んでいました。
ソーホー倉庫




この鉄道が開通した当時は、現在のようなレールや枕木はまだ存在せず、石材にL字形のプレートをボルトで固定したものが使用されていました。1850年代になると、会社は順次ブルヘッドレール(双頭レール)と木製枕木への置き換えを進めました。そして、不要となった石材は再利用され、1857年にこの倉庫が建設されました。この貨物倉庫は、シルドン地域における地元貨物流通の中心的な施設でした。鉄道を利用した流通拠点として、クレーンや家畜積み込み場、石炭置き場なども併設されていました。かつては輸送の中心として、地域にとって欠かせない存在でした。他地域への輸送貨物がここに集められる一方、多くの貨物がこの倉庫を経由してシルドンに届けられていました。当初、ここからの配達は馬車によって行われ、20世紀半ばまで続きました。その後は自動車輸送が主流となりました。
元日曜学校


1855年にストックトン・ダーリントン鉄道はハックワースから広い土地を購入して、鉄道労働者のための住宅を建て、1900年頃には何百もの家族が住む地区になりました。この建物は1888年に建てられ、もとは教会の日曜学校でした。のちには工場となり、現在は建物に中に蒸気機関車サンス・パレイルが保存されています。
サンス・パレイル




サンス・パレイル号は、レインヒル・トライアルに出場するために、ハックワースが1829年に製造した蒸気機関車です。 レインヒル・トライアルとは、建設中であったマンチェスター・リバプール鉄道において、動力方式を「新しい蒸気機関車」と「据え置き式蒸気機関」のどちらにするかを比較検討するために実施された公開競技会です。 実際に4台の蒸気機関車が走行し、その性能が比較評価されました。 残念ながらサンス・パレイル号は、シリンダーの破損により途中棄権し、スティーブンソンのロケット号が優勝しました。 しかしこの機関車は、その後リバプール・アンド・マンチェスター鉄道で一時的に使用され、さらにストックトン・ダーリントン鉄道でも運用されました。そして廃車後も地元の誇りとして保存され続けています。 ハックワースの設計は、大口径の単一煙管を採用したもので、本人はその優位性を主張していましたが、実際にはスティーブンソンが設計した複数の煙管を持つロケット号が、燃焼効率と出力で大きく勝り、勝利を収め、その後の蒸気機関車のボイラーに基本となりました。 シルドン鉄道博物館には、サンス・パレイル号のレプリカが保存されています。 このレプリカは、2002年にレインヒル・トライアルの再現イベントのために製作され、実際に走行したものです。
ソーホー・シェッド




ソーホー・シェッドは1826年に建築されたシルドンに現存する最古の産業用建物です。この建物はキルバーン商会(Messrs Kilburn)が、鉄材商の倉庫としてこの建物を建設したもので、ソーホー工場(Soho Works)の一部ではありませんでしたが、鉄道との関わりは非常に深いものです。1863年以降、この建物はノース・イースタン鉄道(North Eastern Railway)によって使用されました。1870年代には、機関車用の塗装作業場として使われ、塗装の乾燥を早めるために床下暖房システムが導入されていました。20世紀になるとボクシングジムとバンドの練習場として使用されましたが、1978年に工場に復元されています。内部には、荷車に車輪をつけただけのような、1826年とその40年後に製造されたシャドロンワゴン(chaldron wagon)と呼ばれる古い石炭貨車が保存されています。ボイラーと車輪だけが残る機関車は、ティモシーの弟のトーマスとジョージ・フォシックが製造したネルソン(Nelson)です。
ジャンクション


炭鉱への専用線と本線の分岐点です。ストックトン・ダーリントン鉄道が開通したばかりのころは、まだ蒸気機関車は価格が高く信頼性が低いと見なされていました。そのため多くの列車はまだ馬が引っ張っていました。そのためこの付近には炭鉱鉄道で働く馬のための厩舎が1820年代には建てられていました。 右の建物はソーホー車庫、左は貨物を引く馬の厩舎です。
コール・ドロップ


巨大なアーチ状の設備は、蒸気機関車に石炭を積むための設備です。上部に石炭を貯めておくため、石炭貨車を急勾配の上まで運びあげます。なかほどの電柱には、架線支持金具の残っています。かつて炭鉱からの路線が電化されていた名残です。 貨車で運ばれた石炭は、貨車の下部のドアが開き、木製のホッパーに落下するようになっていました。このホッパーから注ぎ口のような形状をした鉄製の落とし樋(シュート)で機関車に石炭を積んでいました。手前の線路は、廃線ではなく博物館からの出場線です。したがって列車が通ることもあるので、踏切には「止まって、見て、聴いて」と注意書きが書かれています。
シルドン鉄道博物館


シルドンにはヨーク鉄道博物館の分館があります。ヨークと比べると規模は小さいですが、それでも多くの機関車が保存されています。いくつかは動態保存でヨークとシルドンで入れ替えをおこなっているようです。シルドン鉄道博物館は別ページで紹介いたします。