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韓国の保存蒸気機関車

韓国で見てきた保存蒸気機関車をご紹介します。韓国の蒸気機関車についてはあまり詳しくありませんが、1983年に復活運転されたミカサ形蒸気機関車を見に行った際、標準軌間の大型機関車に大いに興味を惹かれました。ほかにも、長大な762mmナローゲージによる路線も存在し、調べていくと尽きることのない魅力があります。(2009年1月、2015年11月、2026年6月撮影)

狭機1形蒸気機関車

オリニ大公園の狭機1形2009年 オリニ大公園の狭機1形2015年
花郎台鉄道公園の狭機1形2026年(1) 花郎台鉄道公園の狭機1形2026年(2)

ソウル市広津区にある、動物園・植物園・遊園地などを備えた総合公園「オリニ大公園」に、2017年まで蒸気機関車2輌と客車が保存されていました。そのうちの1輌、狭機(ヒョウキ)1形は、 韓国鉄道庁の標準軌間1,435mmに対し、幅の狭い762mm軌間用の蒸気機関車で「狭機(ヒョウキ)」と区分されていました。韓国語では「혀기」と表記されます。現地の説明板には、「この機関車は、1951年に日本の工場で製造されたものを鉄道庁釜山工場で組み立てたもので、1951年から1973年1月まで、水原~南仁川および水原~驪州(ヨジュ)の各区間で運行されていました」と書かれていました。2009年の訪問時にはオレンジ色を基調とした派手な塗装でしたが、2015年には黒一色に塗り直されていました。その後、花郎台鉄道公園へ移設され、現在に至っています。

ミカ5-56蒸気機関車

オリニ大公園のミカ5形2009年 オリニ大公園のミカ5形2015年
花郎台鉄道公園のミカ5形2026年(1) 花郎台鉄道公園のミカ5形2026年(2)

オリニ大公園に保存されていたもう1輌の機関車が、ミカ(미카)5-56号です。この機関車も、現在は花郎台鉄道公園に移設されています。ミカ5形は、朝鮮戦争(1950~1953年)のさなか、韓国政府および国連軍が、米陸軍輸送科(USATC)を介して日本に発注した蒸気機関車です。汽車製造、日本車輌製造、三菱重工業、川崎車輌などで製造されました。戦前の朝鮮総督府鉄道にはミカシ形(のちのミカ4形)まで存在していたため、それに続く形式として「ミカ5形」と命名されました。これは、ミカド形(軸配置2-8-2)に属する5番目の形式という意味です。車輌の仕様は、かつて南満洲鉄道や満洲国有鉄道で使用されたミカイ形に、おおむね準じています。朝鮮戦争では多くの機関車が破壊されたうえ、増大する貨物輸送需要に対応する必要があったことから、戦前と同様の仕様を持つ蒸気機関車が日本のメーカーに大量発注されました。その需要を見越し、製造各社では正式な発注を前提とした「見込み生産」も数多く行われました。しかし、戦線の膠着に伴って機関車の需要は急速に減少し、各社は納入先の決まらない完成済みの機関車を多数抱えることになりました。なかには、10年以上にわたって保管されたものの売却先が見つからず、最終的に解体された機関車も少なくありませんでした。花郎台鉄道公園では、機関車本体とテンダーを切り離して展示しており、運転台を見学する際に十分な空間が確保されています。

韓国鉄道博物館のミカ3-161蒸気機関車

韓国鉄道博物館のミカ3形161号(1) 韓国鉄道博物館のミカ3形161号(2)

ミカ(미카)3-161は戦前の朝鮮総督府鉄道で300輌あまりが導入された元ミカサ形です。朝鮮の鉄道事情に合わせて車体重量や使用する石炭の発熱量を考慮して設計した標準貨物用機関車です。1981年から1983年まで、釜山~慶州間を週末に観光列車を牽引し、この列車の廃止後、鉄道博物館に展示されるようになりました。

韓国鉄道博物館のパシ5-23蒸気機関車

韓国鉄道博物館のパシ5形23号(1) 韓国鉄道博物館のパシ5形23号(2)

この機関車は昭和17年(1942年)、川崎車輌で製造され、朝鮮総督府鉄道局の京城(現在のソウル)工場で組み立てられた旅客用テンダー蒸気機関車パシコ形です。戦後韓国鉄道庁でパシ(파시)-5形となりました。全国の主要幹線で運行されていましたが、1967年にディーゼル機関車の進展により運行を終了しました。韓国の地形条件に適合し、国内産の石炭を燃料として使えるように設計された代表的な特急旅客用蒸気機関車で、韓国内で唯一現存するパシフィック形(軸配置4-6-2)蒸気機関車です。雨水の侵入を防ぐために煙突の上に三角形の笠を取り付けていますが、外観上機関車のスマートさに水をさすと考えます。

韓国鉄道博物館の狭機11-13号蒸気機関車

韓国鉄道博物館の狭機11-13蒸気機関車(1) 韓国鉄道博物館の狭機11-13蒸気機関車(2)

狭機(ヒョウキ)11形は、軸配置1-D-1、軌間762mmの狭軌鉄道としては大型のテンダー式蒸気機関車で、昭和12年(1937年)と昭和19年(1944年)に日本車輌、汽車会社および日立で製造された元朝鮮鉄道900形です。狭軌鉄道は車輌限界が小さく、輸送力が制限されます。しかし、改軌には工期・費用の両面で大きな負担が伴うため、可能な限り大型の機関車を導入し、増大する輸送需要に対応することを目的に設計されました。私鉄の朝鮮鉄道が運営していた黄海線(1944年に国有化、戦後は北朝鮮地域)や京東線(戦後に国有化され、水原~仁川間が水仁線、水原~驪州間が水驪線となる)向けに導入されました。戦後、韓国側に残った車輌は「狭機11(ヒョウキ)形」として再分類されました。テンダーには朝鮮鉄道の社紋が書かれています。なお、この機関車は台湾総督府鉄道が台東線向けに導入したLD50形(のちの台湾鉄路管理局LDT100形)と、設計・仕様の面でほぼ同一です。

蘇萊歴史館の狭機US7蒸気機関車

蘇莱歴史館の狭機US7蒸気機関車(1) 蘇莱歴史館の狭機US7蒸気機関車(2)

蘇莱歴史館に保存されている狭機蒸気機関車US7は、狭機11(ヒョウキ)形に準じた仕様で、もとは台湾総督府鉄道台東線向けに製造されたLD50形7号機(LD507)であったといわれています。LD507は1944年(昭和19年)、日本車輌製造で、代用資材を使用した戦時設計により製造されました。当時、日本はすでに制海権を失いつつあり、これに先立って台湾へ送られたLD505とLD506も、輸送船が撃沈されたため到着しませんでした。LD507も台湾へ輸送されないまま、終戦を迎えました。その後、朝鮮戦争によって輸送力が不足していた韓国向けに再整備され、国連軍(米軍)によって水仁線用として送られたことから、狭機US7となりました。台湾向けの原形とは異なり、空気制動機と自動連結器が装備され、テンダーの形状も変更されています。車体には「No.7」の刻印が残っています。しかし、この番号が台湾向けの「7号機」に由来するのか、韓国で改めて「US7」とされた理由とどのように関係するのかなど、まだ不明な点があり、興味は尽きません。

韓国鉄道博物館の臨津閣 廃車マテ2 原寸大模型

韓国鉄道博物館の廃車ボイラー2009年 韓国鉄道博物館の廃車ボイラー2015年

2009年に訪問した際、館外にはD形蒸気機関車のボイラー、動輪、シリンダー部分が展示されていました。しかし、2015年に再び訪れたときには、煙突と鉄の輪だけが残っていました。これは2005年に「ポスコ」が企業広告のために作成した実物大の模型で、使用後に寄贈されたものでした。元となる機関車は、朝鮮戦争中の1950年12月31日、開城から黄海道の汗浦方面へ向かっていた途中で空襲により脱線して破壊され、半世紀もの間非武装地帯に放置されたのち、臨津閣で展示されているマテ2-10号機関車を指します。

ソウル科学館の狭機8-28号蒸気機関車

ソウル科学館の狭機8-28蒸気機関車(1) ソウル科学館の狭機8-28蒸気機関車(2)

国立子ども科学館(旧ソウル科学館)で屋外展示されている狭機(ヒョウキ)8-28号は、762mm軌間用の軸配置2-8-2タンク機関車です。昭和9年(1934年)に日本から輸入され、水原~仁川間(52km)および水原~驪州間(73.4km)の路線で運行された蒸気機関車で、地域産業の発展に大きく寄与した、と説明されています。水原~仁川および水原~驪州は、京東線とよばれた私鉄の朝鮮鉄道の路線でしたが、戦後にそれぞれ水仁線、驪州線となりました。

臨津閣 ミカ3-244号蒸気機関車

イムジンガンのミカ3形(1) イムジンガンのミカ3形(2)

朝鮮半島を南北に縦断する京義線(ソウル~新義州間約500km)は朝鮮総督府時代から主要な幹線でした。朝鮮戦争のため分断され韓国側はソウル~臨津江~都羅山までとなっています。都羅山は「非武装地帯(DMZ)」の先の北朝鮮国境最前線に位置するため、事前申請のうえツアーに参加する以外訪問することはできません。臨津閣は2015年には何の許可も不要で訪問できましたが、訪問方法や公開状況は時期によって変わる可能性があるため、事前に最新情報を確認することをお勧めします。駅の先、臨津江の手前に置かれたミカ(미카)3-244は、ふたたび南北が統一されて走れることを願った象徴として「鉄馬は走りたい」としてまっすぐ北に向かって置かれています。ミカ3-244号は朝鮮総督府鉄道ミカサ244号で昭和18年(1943年)の日本車輌製です。

臨津閣 長湍駅廃車マテ2-10号蒸気機関車

イムジンガンの廃車ボイラー(1) イムジンガンの廃車ボイラー(2)

朝鮮戦争中の1950年12月31日、国連軍の軍需物資を輸送するため開城から黄海道の汗浦方面へ向かったマテ(마테)2-10号は、戦況の悪化により南下する途中、長湍駅で攻撃を受けて脱線・停止しました。当時の国連軍は一時、中国国境近くにまで迫る勢いで北上していましたが、中国人民志願軍の本格的な参戦によって形勢は逆転し、前線は南へ南へと押し戻され撤退を余儀なくされていました。前線の混乱のなか、敵側の手に渡るのを防ぐ目的で、国連軍自らが攻撃を加えたとされています。その後、長湍駅は非武装地帯(DMZ)の韓国側に組み込まれて廃止され、機関車も半世紀以上にわたり現地に放置されたままとなりました。2006年11月、保存が正式に決定され、ポスコ社(POSCO)が費用および技術支援し、専門家が錆除去・保存処理などの作業にあたり、2年の歳月をかけて整備されました。そして2009年6月現在地である臨津閣公園内「自由の橋」北端にて一般公開が開始されました。

韓国鉄道公社のDMZトレイン

韓国鉄道庁のDMZトレイン(1) 韓国鉄道庁のDMZトレイン(2)

DMZトレインはムグンファ号用の韓国鉄道9501系気動車を改造して、2014年から京義線のソウル~都羅山間で3両編成で運行を開始しました。北朝鮮寄りの先頭車には「鉄馬は走りたい」に象徴される蒸気機関車が描かれていました。2019年アフリカ豚熱の拡散防止対策に伴い運行を停止し、その後再開されることなく2023年に老朽化により廃止されました。なお、旧DMZトレインとは別に、2026年4月から同区間で「DMZ平和イウム列車」の運転が開始されています。

韓国のその他の場所には、以下の保存機関車があります。

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