Kurogane No Michi

羅東林業文化園区

1895年の下関条約により日本が台湾を領有すると資源開発が本格化しました。1915年に太平山一帯の森林資源調査を開始し、1918年には羅東出張所が開設されました。1924年に森林鉄道が開通すると羅東は木材の集積・出荷の拠点となり、翌1925年には羅東出張所が羅東営林署に昇格し、本格的な伐採・輸送・管理業務を担いました。戦後は羅東林区管理処に再編されましたが、1970年代になると森林資源は枯渇し伐採量が急減しました。そのため羅東森林鉄道も1982年に廃止され、跡地は放置されていましたが、台湾の林業史と産業遺産を伝承する文化拠点として整備され、1998年に開業しました。(2010年10月および2025年5月撮影)

羅東林業文化園区入口

羅東林業文化園区入り口(1) 羅東林業文化園区入り口(2)

中正北路出入口と北側出入口です。園区内には、羅東森林鉄道の竹林駅、機関区、官舎、貯木場、貯木池を含まれます。塀がないため、これらの入り口以外からも園内に入ることができます。

人車軌道

人車軌道(1) 人車軌道(2)

木材輸送用の手押し人車軌道です。羅東営林署周辺には数多くの製材所があり、それらとむすぶ軌道が敷設されました。その一部が復元され、各時代の材木店についての様子も展示されています。

林鉄館の機関車

ディーゼル機関車 15号蒸気機関車

林鉄館は旧機関車検修庫を利用した展示施設で現役時代の建物が残ったものです。館内には土場から先の上部軌道で使用された加藤製造の7号ディーゼル機関車と台湾鉄工所製造の15号蒸気機関車が保存されています。そのほか鉄道で使用された工具や史料も展示されています。羅東森林鉄道は竹林駅をから土場まで開通した際は木材貨物のみ取り扱っていましたが、沿線住民からの請願もあり1926年に旅客輸送と木材以外の農産品の輸送を開始しました。

蒸気機関車

8号蒸気機関車 9号蒸気機関車
11号蒸気機関車 12号蒸気機関車

蒸気機関車は全部で5輌保存されています。左上は8号で左上は9号、どちらも1941年川崎車輌の製造です。なお9号の説明には台湾機械製造と書かれていますが誤りです。下段の11号と12号は、1958年に台湾機械が川崎車輌の機関車をコピーして製造したものです。

竹林駅構内

竹林駅 客車洗浄台
客車 構内

復元した竹林駅です。日本時代からの雰囲気を感じさせます。その他林務局の社宅も日本時代からの建物を思わせる建築様式のものがありました。こぢんまりとした建物ですが、往時は羅東森林鉄道の始発駅とて栄えました。客車も2輌保存されています。客車の後にある煉瓦の上にコンクリートを塗った頑丈な客車洗浄台は、復元されたものではなく現役時代からそのまま残った設備です。廃止後構内のレールは撤去されたので、文化園区として整備する際に敷設したもので、本来の構内配線と異なります。

木材取り下ろし平台と貯木池

木材取り下ろし平台 貯木池

到着した木材は取り下ろし平台から貯木池に投入され保管されていました。これは急激な乾燥による変形や割れを防ぎ、またカビや虫害を抑制することができます。

その他の林業設備

木馬(きんま) 修羅(しゅら)
野猿・矢猿(1) 野猿・矢猿(2)

かつての林業を学習するために、鉄道以外の設備に関する展示もあります。木材を切り出してまず運材列車まで運ぶために、木馬(きんま、きうま)は、一定間隔で丸太を敷き詰めて、その上をそりで木材をはこぶ道です。棒の先に綿布を巻いたもので枕木に油を塗りながら二人一組で運搬します。前になる人はロープを袈裟懸けにかけて引っ張り、後ろの人があとを押します。これは見本で小規模ですが本物は巨木も乗せるものです。「修羅(しゅら、すら)」は山の斜面に伐採した木材を最初に敷き詰めて作成して、その次に伐採した木材を滑りおろすものです。斜面が長くなるとジグザグに設置します。そしてその場所の伐採が終了したときにこの木材を運び出します。
山が深くなると、山と山の間に「野猿・矢猿(やえん)」と呼ばれるケーブルを渡して運搬します。また四角い小さな箱で作業員もこれを使用して山奥へ山奥へと向かいます。当時の貴重な現物ですが2025年には無くなっていました。

トーチカ

園内のトーチカ 中正北路のトーチカ

トーチカとは、鉄筋コンクリートで造られた堅牢な小型防御陣地のことです。戦後の国共内戦期(1947〜1949年)から1950年代にかけての「反共防衛線」整備の一環として建設されたものと考えられます。監視と射撃の機能を備え、中国からの侵攻を警戒して整備されました。園内に残るものは保存されていますが、外側の中正北路沿いにあったものは道路拡張工事に伴い撤去され、現存していません。

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