
製糖会社線 嘉義駅(糖鉄嘉義駅)
台湾鉄路管理局縱貫線嘉義駅

嘉義には東側に縦貫線と阿里山森林鉄道が共同使用する大きな嘉義駅と、駅外の跨線橋で渡った西側にあるこぢんまりとした糖業鉄路の嘉義駅(後駅)がありました。日本時代からの東側は繁華街として発展しましたが、西側は駅前から田圃がひろがる景色でした。流石に70年代は住宅が建て込んでいました。縱貫線の嘉義駅は明治35年(1902年)、阿里山森林鉄道は明治43年(1910年)、製糖工場の朴子線は明治42年(1909年)、嘉義線は明治44年(1911年)にそれぞれ開業しました。
嘉義駅構内北側

跨線橋からはひろい構内を見渡すことができました。ちょうどDT560形が入換を行っていました。嘉義機関区には旅客用のCT250形(C55形)、CT270形(C57形)、貨物用のDT650形(D51形)および入換用のDT560形が在籍していました。電化前の嘉義駅は架線のないすっきりした構内で、跨線橋を渡って反対側に行くと、そこが製糖会社の嘉義駅です。
嘉義駅構内北側

糖鉄は762mm軌間のナローゲージで、鉄路局の1067mm軌間と幅が異なるため別々な存在でした。貨物受け渡しの設備はなく、糖鉄嘉義駅は旅客のみの取扱のようでした。ここから発着するのは、気動車の列車とディーゼル機関車で牽引する列車がありました。
嘉義駅構内北側

糖鉄の嘉義駅は、元々明治製糖の朴子線と東洋製糖が建設し、のちに大日本製糖の北港線となった2つの会社の路線がある駅でした。戦後はこれらは台湾の製糖事業を統括した台湾糖業公司の路線となりました。
糖鉄嘉義駅 糖鉄客車

嘉義駅の北側で、カーブしている路線がほぼ直角に曲り西に進む先が北港方面です。1972年に北港~虎尾間の営業が廃止され、このころは嘉義~北港間の18.8kmの区間が営業中でした。
跨線橋からみた糖鉄嘉義駅

嘉義駅を東西にむすぶ跨線橋からみた糖鉄嘉義駅です。駅前広場も大通りもなく、家が建て込んでいました。メインの鉄路局の嘉義駅に対して、後駅とも呼ばれました。この鉄道は嘉義から朴子を経て港墘まで24.9kmが明治42~44年に明治製糖により建設され朴子線と呼ばれ、戦後は蒜頭糖廠鉄道となりました。嘉義~北港~虎尾は、嘉義と北港間が嘉義線、北港から虎尾間26.7kmが北港線と呼ばれ、明治44年に東洋精糖が建設し、のち大日本製糖との合併し、戦後は北港糖廠北港線、嘉義線となりました。
糖鉄プラットホーム

プラットホームに気動車が到着しました。右側のホームにも停車している気動車に乗るために笠をかぶった人が通路を渡っていきます。当時の台湾では、日よけのためにこの笠をかぶった人はどこでも見られました。
糖鉄嘉義駅 駅舎とホーム

ホームから駅舎を見た風景です。以外と頑丈そうな建物でした。窓口では硬券の乗車券を発売していました。当時はまだ日本語教育を受けた人々が現役で、日本語が通用してとてもありがたかったです。旅客取扱は朴子線が1981年、嘉義線最後まで残った糖鉄の旅客営業線となり1982年まで行われました。その後この駅舎は壊され、台湾鉄路管理局の嘉義後駅に建て替えられました。
糖鉄嘉義駅ホームの気動車

跨線橋を降りて、糖鉄のホームから見た気動車です。1輌編成ながら乗客は意外に多く混雑しているようでした。
糖鉄朴子線気動車

一番東側のホームに朴子行きの気動車が停止していました。先程の気動車と異なり、こちらはまだ発車前なので、乗客はいませんでした。
糖鉄朴子線気動車542号側面

気動車の側面には、朴子行きの行き先板、台糖糖業公司鉄道のロゴ、所属製糖工場を表す丸に蒜の文字、これは蒜頭糖廠を表します。そした社号の542号の銘版がありました。気動車は機関車と同じように銘版で車体に番号を記入したものではありませんでした。
糖鉄朴子線気動車542号車内

542号の気動車の車内です。窓にはよろい戸がつき、床と座席は木製でした。網棚はパイプ製で意外と近代化したものでした。もちろん、冷房も暖房もありません。
糖鉄朴子線気動車542号

発車時間が近くなると、乗客もそれなりに集まり、駅からも駅長さんが出発合図のためにホームに出てきました。
糖鉄客車と入換用DT560形機関車

糖鉄の東側の鉄路局嘉義駅では入換用のDT560形が行き来していました。当時は側線にも貨車がいっぱいで入換作業もひっきりなしに行われていました。
跨線橋とDT560形蒸気機関車

嘉義駅にあった跨線橋は東西を結ぶ人道橋で広い構内を横断するとても長いものでした。この跨線橋は嘉義駅の高架化工事のため使用停止され、撤去されました。手前は糖鉄ホームの先端です。DT560形の向こうには通過するCT270形が見えます。
跨線橋上から見たDT560形蒸気機関車

長い跨線橋は、鉄路局縱貫線の列車、入換を行う機関車、糖鉄の駅および列車が一望できました。当時はまだ電化されていないので、架線柱や架線がなく、とても見晴らしがよかったです、
さとうきび無蓋貨車

さとうきび畑で収穫したあと、製糖工場まで運ぶために無蓋貨車です。朴子線では蒜頭製糖工場へ、北港線では虎尾製糖工場と北港製糖工場へ畑から往復する貨車です。それぞれ別の工場の管轄になるため嘉義駅にはこの貨車が来ることはないと思いますが、構内に留置されていました。
嘉義機関区と糖鉄朴子線気動車

嘉義駅の南方(高雄寄)には嘉義機関区がありました。遠くから高い給水塔が見えます。機関区と町並みの間を縫って嘉義行きの朴子線の気動車が到着します。
朴子線ディーゼル機関車牽引の旅客列車

旅客列車は気動車だけでなく、ディーゼル機関車牽引の列車もありました。この列車は有蓋貨車2輌と3輌の客車を従えた長い編成の列車でした。朴子に向かって出発します。
糖鉄客車

糖鉄の客車と気動車は外見上あまり違う様に見えません。もちろん気動車にはエンジンと運転台があるのでよく見れば異なります。外見がすぐわかるのは、気動車は銘版に番号が記入されていますが、客車は車体に番号をペイントしています。
嘉義駅 駅名標と粁程標

駅名標はこのようなスタイルでした。博愛路は嘉義線、大溪厝は朴子線の駅です。博愛路駅がどこにあったかは分かりませんが、博愛路は嘉義駅から西に直進する道路名です。大溪厝は日本時代からある駅で嘉義駅から3km西側の地点です。現在も嘉義BRTに大溪厝停留所があります。