くろがねのみち

高崎第一機関区の思い出

高崎第一機関区(略称高一;たかいち)の起源は、1884年(明治17年)にさかのぼります。この年、日本鉄道会社が上野から高崎までの区間を開通させた際に、蒸気機関車の拠点として高崎機関庫が設けられました。その後、日本鉄道は国有化され、高崎機関庫も官設鉄道(国鉄)の所属となりました。1934年(昭和11年)には「高崎機関区」と改称され、1945年(昭和20年)には業務拡大に伴って組織が分割され、高崎第一機関区と高崎第二機関区が設置されました。さらに1947年(昭和22年)に上越線が電化されると、両機関区の役割が見直され、第一機関区は蒸気機関車、第二機関区は電気機関車を担当する体制になりました。現在はJR東日本の「ぐんま車両センター」がその伝統を受け継ぎ、D51形やC61形といった蒸気機関車が復活運転用として配置されています。高崎は明治以来、関東地方における鉄道運行の拠点としての役割を果たし続けています。 ここでは、蒸気機関車の拠点としての役割を終える直前、1970年(昭和45年)11月までの高崎第一機関区の様子を紹介します。

高崎第一機関区遠景

高崎第一機関区 遠景 高崎第一機関区 扇形車庫

高崎駅西口にあった藤五百貨店からは、扇形車庫とガントリークレーンを一望することができました。当時は視界を遮る高層建築がなかったためです。これらの施設は、高崎駅を発車した上越線・信越線・両毛線の列車からも右手に見ることができました。

高崎第一機関区入り口と扇形車庫の後側

高崎第一機関区 入り口 高崎第一機関区 扇形車庫の後側

機関区の入り口は線路と反対側にあり、正面にはガントリークレーンのガーター(横行桁)が高い位置に見えていました。扇形車庫の丸い裏側には排煙のための高い煙突がそびえていました。

高崎駅から見た高崎第一機関区

高崎第一機関区 高崎駅から(1) 高崎第一機関区 高崎駅から(2)

もう一つ機関区へ行く道として、高崎駅ホームの先端から続く通路がありました。本来は職員専用の通路でしたが、当時は機関区を見学に訪れる人々も多く通ったようです。

高崎第一機関区事務室

高崎第一機関区 事務室内(1) 高崎第一機関区 事務室内(2)
高崎第一機関区 事務棟 高崎第一機関区 構内

事務室を訪れ、当直助役に見学を希望する旨を伝え、見学簿に氏名と住所を記入することで、番号入りの丸いバッジを受け取り、見学させてもらうことができました。現在の鉄道職場では考えられないことですが、当時はどこでも普通の出来事でした。

高崎第一機関区 C11形

高崎第一機関区 C11(1) 高崎第一機関区 C11(2)

C11形は、高崎駅構内に隣接する高崎客車区や貨車区の入換に使用されていました。かつては渋川から長野原線(現在の吾妻線)における貨物列車や入換にも活躍しましたが、1970年4月にDE11形ディーゼル機関車に置き換えられ、廃車になりました。

高崎第一機関区 C12形

高崎第一機関区 C12(1) 高崎第一機関区 C12(2)

C12は足尾線用で通常は桐生支区に所属していて、高崎には点検のために桐生から単機で自走して回送されて来ていました。そのため、いつも扇形車庫の外で見られるわけではありませんでした。

高崎第一機関区 C58形

高崎第一機関区 C58212 高崎第一機関区 C58211
高崎第一機関区 C58311 高崎第一機関区 C58311テンダー

C58形は八高線の貨物用として、蒸気機関車の終焉まで在籍していました。扇形車庫の内部にはテンダーを外して整備する設備もあり、ここで点検が行われていました。

高崎第一機関区 9600形

高崎第一機関区 9678 高崎第一機関区 69680

9600形は高崎操車場の入換用として在籍していました。1970年4月にDE11形ディーゼル機関車に置き換えられ、廃車になりました。番号が若い「9878」や、前面やテンダーに警戒色を施した車両など、さまざまな姿が見られました。

高崎第一機関区 D51形

高崎第一機関区 D51631 高崎第一機関区 D51745

D51は高崎第一機関区で最も大型の機関車でした。八高線の貨物用として、時にはC58形と重連で運転されることもありました。

高崎第一機関区の設備

高崎第一機関区 29687給水 高崎第一機関区 給水タンク 高崎第一機関区 砂乾燥室 高崎第一機関区 灰捨て設備

機関区には給水塔と給水タンクがありました。通常は給水塔を使用しており、タンクを使う場面は見たことがありませんでした。砂乾燥室(サンドドライヤー設備)では、空転防止用の砂を乾燥させていました。ガントリークレーンのグラブバケットは無蓋貨車から石炭を運び、灰捨て設備では灰やクリンカを集めて無蓋貨車で搬出していました。

高崎第一機関区の仕事

高崎第一機関区 C58263シンター掻き出し 高崎第一機関区 C58309
高崎第一機関区 給炭槽 高崎第一機関区 給炭

蒸気機関車の出発前には、給炭槽からの石炭補給、給水塔からの給水、必要に応じて滑り止め用の砂の補充が行われました。特に給水は重要で、ボイラーを空焚きにしないよう細心の注意が払われました。運用を終えて帰区すると、煙室に溜まったシンダーをシャベルで掻き出し、火室下の灰箱に溜まった灰やクリンカを灰捨て設備に落として処理しました。

蒸気機関車廃止直後の高崎第一機関区

高崎第一機関区 廃車留置(1) 高崎第一機関区 廃車留置(2)

さよなら記念列車の運転もおわり、高崎第一機関区は現在の場所に移転しました。元の機関区の場所には火を落とした機関車が置かれていました。熱気は全く無く冷え冷えとしていました。(1970年11月)

高崎第二機関区

高崎第一機関区 D51261(1) 高崎第一機関区 D51261(2)

当時の高崎第二機関区にはすでに蒸気機関車の配置はありませんでしたが、転車台と車庫があり、そこに蒸気機関車が据え置かれていました。配管をつなげて、ボイラー代用で使用していたようです。(D51261 1970年8月)

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