
蒸気機関車時代の台湾の機関区風景






1970年代の台湾は、大陸中国との対立が続き、戒厳令下にありました。これは、事実上の戦時体制が継続していたことを意味します。鉄道は戦略的に重要なインフラとされ、許可なく撮影することは厳しく禁じられていました。日本では自由に撮影できた機関区や駅でさえ、台湾では容易にはカメラを向けられなかったのです。駅や鉄橋、トンネルなどでは常に兵士が警備にあたり、当時の日本では想像しがたいほどの緊張感が漂っていました。それでも、日本統治時代に教育を受け、美しい日本語を話す人々の親切に助けられ、特に咎められることもなく撮影することができました。ただし、機関区内の撮影が許可されたとは言え、「機関区全体の規模や構造が分かる写真は不許可」とのことで機関区関係者が立会ました。そのため、満足のいく写真はあまり残せていません。雑然とした記録ではありますが、資料としてご覧いただければ幸いです