
蒸気機関車時代の新竹機関区
1976年に正式の許可を得て訪問しました。通過する列車からも撮影しています。一番機関区らしい撮影ができたところだと思います。CT150(8620形)、DT580(9600形)、DT650(D51形)およびディーゼル機関車が配備されていました。制約が多く扇形車庫方向の撮影は禁止ということで撮影後に注意されましたが、フィルム没収ということはありませんでした。
新竹駅から見た新竹機関区

新竹駅のホームから、すぐ隣に機関区がありました。当時はホームで憲兵が配置されていて、見つかれば注意されるおそれがありましたので、隠し撮り的に撮影したものです。
新竹駅跨線橋下から見た新竹機関区

ホームの一番高雄寄りにいくと機関区は間近です。ホームの先端には給水塔もありました。
跨線橋上から見た新竹機関区(1)

跨線橋の上からは更に機関区の様子がはっきりわかりました。思わず撮影しようとしたところ、ガイドさんから撮影しないように注意されました。憲兵はいませんが、不審者は通報することという標語がそこかしこに書かれていましたので、地元の方といっても安心できません。
跨線橋上から見た新竹機関区(2)

結局跨線橋の上で撮影したので、2枚だけでした。機関区の扇形車庫も転車台も、みな無くなってしまいましたが、左に見える給水塔は2024年現在もそのまま残っていました。
通過する列車から撮影した新竹機関区

駅のすぐ近くなので、通過する列車からも機関区を撮影することができました。扇形車庫の9番から16番が見えます。
通過する列車から撮影したCT169

扇形車庫の脇にはCT169が停められていました。この扇形車庫は排煙用の煙突が建物の前の方にあるので、機関車は転車台に先頭を向けて停車するのが普通のようですが、これは後ろ向きでした。無火状態だったかもしれません。このCT169は1920年に汽車製造で製造されました。
DT671と給炭台

給炭台の上は石炭が山になっています。これをスコップで炭水車に積み込みます。これは重労働であったことがうかがえます。DT650の炭水車には8tの石炭と20㎥の水が積み込めます。
DT672

DT672は1942年の汽車会社の製造で、元台湾総督府D5122です。台湾では一番大形の貨物用機関車です。ハンマーで叩いて点検する風景は、日本と変わりません。
CT187

CT187は1926年の汽車会社の製造です。台湾の機関車の煙室扉には中央のハンドルのほかにアメリカ型機関車に見られるようなクリートが取り付けられていました。これは日本にはない仕様で、戦後のアメリカからの鉄道使節団の助言により取り付けられたそうです。
転車台上のR50ディーゼル機関車

R50電気式ディーゼル機関車はR20形です。1960年から1966年にアメリカのGM-EMDで52輌製造されました。最初に導入されたR0形は試作的な要素を含んでいましたが、続いて導入されたこのR50形は台湾として最初の本格的実用ディーゼル機関車です。
転車台上の無蓋貨車

基本的に転車台は機関車の前後を整えるためのものですが、ときには車庫内へ行く貨車が乗せられることもありました。
石炭置場

新竹機関区にも大きな石炭置場がありました。ここは玉石を使用せずコンクリートだけの構造でした。ずいぶん石炭の使用も大量だろうと思われ、積み上げた石炭も半分になっています。
CT168とCT164

扇形車庫の5番には前向きでCT168、となりの6番線には後ろ向きにCT164が入っています。どちらも1920年の汽車会社の製造です。煙突の位置が前向きの上なので、前向きが基本だと思われますが、扇形車庫にはこれ以上近寄れなかったので、庫内の排煙設備がどうなっているか分かりませんでした。
DT592

DT592は1926年の川崎車輌の製造です。台湾のDT580形は最初から空気ブレーキが装備されていますので、空気だめの位置は全部同じでした。なお一部にデフレクターを装備したものもありましたが、ほとんどはデフ無しでした。
出庫するDT610

扇形車庫を出て、転車台で回転して出場するDT610です。1929年の汽車会社製造です。この写真は、台北駅近くの元台湾総督府交通局の建物を整備した国立台湾博物館鉄道部園区に展示されています。よろしかったら探してみてください。
DT592と煙管再利用の柵

手前の柵は機関車の古い煙管を再利用した物です。鉄道では古くなったレールや煙管などを再利用した例が多く見かけられました。「工場重地、閑人勿進」とは「厳重管理区域の工場、無関係の者進入禁止」という意味です。閑人は日本語ではひまじんですが、中国語では意味が異なります。
DT672

これから出場するDT672は、煙室のシンダーを除去して、給水、給炭した最後の、煤でよごれた前面を水で洗い流していました。
DT673の運転台と炭水車

DT673は1942年の汽車会社の製造で、元台湾総督府交通局のD5123です。台湾のDT650形は当然ながら開放式の運転台で、炭水車には、タブレット閉塞のタブレットキャリアで車体を傷つけないように、手作りの緩衝器が取り付けられていました。
R136と噴水

R136が北上する莒光号を牽引して新竹駅に進入していきます。R136はアメリカのGE-EMDで製造したR100形の電気式ディーゼル機関車です。手前には手作りだと思われる噴水がありました。2024年に新竹駅を訪問したときには、この噴水は既にありませんでした。
DT592とCT187

手前は留置中のDT592で、先には客車の入換中のCT187が推進運転中です。DT592は1942年、CT187は1926年にいずれも汽車会社で製造されました。CT150形牽引の客車列車は縱貫線の普通列車や内湾線で見られました。
DT672とDT673のすれ違い

新竹駅方向ではDT652の南下貨物列車が通り過ぎようとしています。手前はDT653で、すれ違いました。右上に新竹駅の駅舎の塔が見えます。新竹駅の駅舎は1912年の完成で現在は台湾の重要文化財に指定されています。