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蒸気機関車時代の嘉義機関区

1976年には嘉義駅の跨線橋から遠く機関区を見ただけでしたが、1977年には正式に訪問しました。当時は電化が始まっていて、二水あたりにはコンクリートの架線柱が建っていましたが、嘉義ではまだなにもありませんでした。ここには扇形車庫もあるのですが、1976年より厳しく車庫方向は撮影させてもらえず、機関車が留置している場所でCT250(C57形)、CT270(C57形)、DT580(9600形)、DT650(D51形)および廃車のCK100を撮影しました。

嘉義駅跨線橋自由通路から見た嘉義機関区

嘉義駅跨線橋自由通路から見た嘉義機関区

嘉義駅には、後駅との連絡のために駅の外に跨線橋がありました。ここから高雄方面を眺めると嘉義機関区が見えました。煙を上げる蒸気機関車も見えました。2024年には高架化のため、この跨線橋は無くなっていました。

嘉義機関区 扇形車庫遠景

嘉義機関区 扇形車庫遠景

線路づたいに歩いて行きました。嘉義の扇形車庫は8番線までで規模は新竹より小さい様ですが、写真撮影は出来ませんでしたので、具体的には記憶していません。

嘉義機関区 正門

嘉義機関区 正門

嘉義機関区の正門は「嘉義機務段(中国語で機関区の意味)」と「嘉義機務中隊」と書かれていました。戒厳令下では、鉄道は軍事上重要な施設として、軍に準じた組織も編成されていました。左に立っているのは古仁榮氏です。我々のガイドを務めていただき、一緒に撮影もしました。当時は台湾の方が撮影した写真はほとんどありません。古氏の撮影した写真は貴重な記録となっています。

嘉義機関区 事務所入り口内側

嘉義機関区  事務所入り口内側

機関区の門の外側も内側にも線路がありました。どちらも機関車が通過します。どういう位置関係だったか、まったく思い出せません。

嘉義機関区 事務所入り口

嘉義機関区 DT658

事務所の入り口にも看板があり、更に詳しい組織名が書かれていました。左の看板は「台湾鉄路局防護団嘉義区大隊機務中隊部」とあり、大隊、中隊と軍隊に準じた組織だったことが、さらに詳しく分かります。また「愉快上班 平安回家」は中国語でよくあるフレーズで、「笑顔で出勤、安全に帰宅」という意味です。

DT658

嘉義機関区  DT658

嘉義機関区は線路に沿って細長い形状になっていて、本線側からも留置されている機関車が見えました。このDT658は1941年の川崎車輌の製造で、戦前の台湾総督府交通局のD518でした。後の建物に書かれている標語は「検査車輌確保 行車安全」(車両を点検して、安全運行を確保しよう)です。さらに右下に小さく書かれているのは、当時よく見られた標語の一つで「復興中華文化要実践-国民生活須知」(中華文化の復興には実践が不可欠 —— 国民が守るべき生活の心得)です。当時は本当に政治標語が溢れていました。

DT665

嘉義機関区 DT665

DT665は1941年の川崎車輌の製造で、戦前の台湾総督府交通局のD5117でした。台湾の機関車はどれもきれいに磨かれて光っていました。

DT650煙室掃除

嘉義機関区 煙室掃除

蒸気機関車の煙室扉を開けて、シンダー(石炭灰殻)を除去する作業を行っているところです。シンダーは石炭1t当たり約100~150kg発生するため、頻繁な清掃が必要です。これも大変な作業です。

嘉義機関区 貨車の手押し

嘉義機関区 貨車の手押し

発生したシンダーなどを処理するためには、無蓋貨車に乗せて運び出すことが必要となってきます。貨車を一人で押しています。貨車は平地ならブレーキを緩解すると割と簡単に動かすことが出来ます。

嘉義機関区 DT665、CT259、DT607

嘉義機関区 CT259、CT259、DT607

後ろ側に扇形車庫があり、車庫が見えるところで写真を撮るために近寄れたのはここまででした。左からDT665、CT259、DT607、日本で言えばD51、C55、9600ですが私は日本ではこれらの機関車が一括揃うところは見たことがありませんでした。

嘉義機関区 CT259

嘉義機関区

CT259は1938年の三菱神戸造船所の製造で、元台湾総督府交通局のC559でした。台湾のC55の最終番号です。現在は高雄の打狗鉄道故事館で保存されています。

嘉義機関区 スポーク車輪

嘉義機関区

台湾のCT259も日本のC55形と同じ、美しい水かきつき付スポーク車輪と呼ばれる、リムを補強した動輪です。これはC55形だけの動輪のスタイルです。

嘉義機関区 赤いロッド

嘉義機関区 赤いロッド

車体を美しく見せるため、ナンバープレートや動輪、ロッドなどに色を付けることがあります。現役時代のCT250形は、赤いナンバープレートとロッドに赤を落とす程度の、比較的控えめな装飾でした。保存機はランボードに白線を入れたり、前部の排障器を黄色に塗ったり、ロッドだけで無く輪心も赤く塗ったものがありますが、現役時代はこの様に落ち着いた姿でした。

嘉義機関区 DT604

嘉義機関区 DT604

嘉義機関区でも石炭置場は玉石で補強したコンクリートの頑丈なものでした。石炭が機関車が隠れるほど高く積まれています。

嘉義機関区 CT275

嘉義機関区 CT275

CT275は1943年の川崎車輌の製造で、元台湾総督府交通局の形式C57形C575です。国鉄C57の2次形と同形です。日本では1943年にはC57の製造は停止され、貨物用機関車が増産された時期ですが、台湾向けでは4輌が製造されています。

嘉義機関区 D607

嘉義機関区 D607

D607は1929年の汽車会社製造です。戦前の台湾総督府交通局の形式はE800形826でしたが1937年の型式番号改称でD98形の826となりました。同形式26輌目の機関車です。戦後はDT580形となりました。台湾の9600はコンプレッサーや空気だめの位置が皆同じで機番ごとの特徴はあまりありません。

嘉義機関区 CK102

嘉義機関区 CK102

日本には同じ形式がないCK100形102です。扇形車庫内を撮影しないことを条件に近寄って撮影することができました。既に廃車になって留置されていました。CK102は1917年に汽車会社で製造されました。戦前の台湾総督府鉄道部ではE400形E402、1937年の形式改称でC44形于402になりました。1917~1919年に8輌製造されて、支線や入換に使用されました。

嘉義機関区 転車台とCK102

嘉義機関区 転車台とCK102

嘉義機関区の転車台が写っている唯一の写真です。CK102は軸配置1-C-1ですが、右側の従輪は脱線しています。おそらく車軸が損傷しています。

嘉義機関区 DT601

嘉義機関区 DT601

柵の外側をDT601が通過していきます。やはり柵は煙管を再利用して作成したものでした。DT601は1929年に日立で製造されました。

嘉義機関区 CT279牽引の普通列車

嘉義機関区 CT279形牽引の普通列車

機関区の脇をCT279が牽引する南下(高雄方面行)の普通列車(中国語で“普快車”)が通過して行きます。台湾の普通列車用の客車は日本と同じ様に車体の両端にドアのものもありますが、乗り降りの利便のため中央に寄せた片開きまたは両開きのものがありました。牽引のCT279は戦後の1953年に日立で製造した2次形を輸出したもので、最初から前部の排障器を装備していました。このグループの機関車が最後に製造された国鉄形蒸気機関車です。