DT650形蒸気機関車DT672 1975年11月 新竹機関区 |
日本のD51形と同形のDT650形は台湾最強の貨物用機関車で、汽車製造、日立、川崎、三菱で製造され37両が在籍しました.現在はDT665が動態復元された他3両が静態保存されています.台湾のD51は、導入時期により種類に分けることができます.昭和14年から昭和18年まで製造した27輛はD511~27として、日本と同じ形式名で番号がつけられました(但し台湾向けは半流線型いわゆるナメクジ形ではなく標準形).次に昭和19年に日立で製造したD5128~32は戦争の激化で輸送できなくなり、国鉄においてD511162~1166で使用し、戦後台湾に輸送しました.これらの製造時期、日本国内向けは戦時形として材料および工作が簡略化されたものでしたが台湾向けの外見は標準型として製造されました.しかし性能諸元は戦時形と同様で、船底テンダーであったものや、北海道形の様な前を切り詰めたデフレクターのものもありました.これらは性能が悪く1960年代に廃車されたもようで、現存する写真は非常にすくないです.最後のグループは戦後1951年(昭和26年)にアメリカの援助で台湾政府が発注したものがあります.これらは最初から台湾鉄路局形式のDT683~687のナンバーとして製造され、これがD51同形の最終製造となりました. 台湾の機関車は最後まで製造当初の原形を保っていました.日本で後に追加されたATS発電器などはなく、相違点は前部排障器、煙室扉のクリート、キャブのすぐ後ろのテンダーに付いたタブレットを受けた際のショックを吸収するための竹で作った緩衝器でしょうか. |