D50形の近代化改良形として、昭和11年(1936年)から昭和19年(1944年)に汽車製造、日本車輌、川崎、日立、三菱と国鉄の各工場(苗穂、土崎、郡山、大宮、長野、浜松、鷹取、小倉)で国鉄最多の1115両が製造されました.日本全国で使用され、「デコイチ」は蒸気機関車の代名詞となりました.最初に製造された一次形は流線形の要素を取り入れ、煙突から給水温め器、砂箱、蒸気ドームを一体化したカバーで覆い、この形状から「なめくじ」と呼ばれました.2次形は給水温め器を煙突前に横に配置した標準形です.さらに3次形、4次形は戦争による資材不足のもとで製造され、工作を簡略化したり代用資材を使用して製造されましたが、戦後標準形へ戻されています.
この機関車も軍への供出で中国に送られたほか、同形機は台湾(DT650形)と戦時賠償用として戦後新造してサハリンで使用されました.C61形やD61形への改造がありましたが昭和40年ごろでもまだ1000両が在籍し貨物用の主力機関車として活躍しました.最後は昭和50年(1975年)まで使用され、現在JR東日本(D51498)とJR西日本(D51200)および台湾(DT668)で各1両動態保存されているほか、約180両が静態保存されています.
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