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台湾60→120蒸気機関車

60→120画像
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60形(のちの120形)は、1909年(明治42年)の形式名改正で国鉄9200形になった機関車と同形です。日露戦争(1904年2月~1905年9月)中、陸軍は輸送用に日本からB6形(0-6-2T)蒸気機関車を大量に持ち込みましたが、タンク機では力不足を感じ、1905年(明治38年)にアメリカのボールドウィン社へ50輌の2-8-0テンダー機関車を発注しました。しかし、戦争は終結に近づいており、輸送も縮小していたため、30輌だけを中国東北部に送り、残る20輌は日本国内で使用しました。台湾の3輌は60形となり、苗栗~台中間の勾配区間で使用されました。1911年(明治44年)には50形の増備に伴って番号の重複を避けるため120形に改称されました。台湾における最初のテンダー機関車でしたが、この3輌は十分に活躍しないまま1933年(昭和8年)に全機廃車となりました。日本では中国東北部に送られた機関車も順次帰還し、各地で使用されました。また一部は私鉄・専用線に払い下げられ、1964年(昭和39年)まで使用されました。この3輌が台湾に渡った経緯は日本から直接なのか、中国東北部からなのか、資料により異同があり、一次資料が確認できていないため、現時点では確定できませんでした。

60→120蒸気機関車 諸元

シリンダ直径×行程(mm) 457×560 全長(mm) 17,167
缶圧力(kg/cm²) 12.0 全幅(mm) 2,515
火格子面積(m²) 1.92 全高(mm) 3,748
全伝熱面積(m²) 128.3 缶中心線高(mm) 2,100
機関車運転重量(t) 48.15 動輪上重量(t) 42.66
炭水車運転重量(t) 28.53 動輪直径(mm) 1,120
燃料搭載量(t) 2.38 最大軸重(t) 12.67
水槽容量(m³) 10.5 軸配置 2-8-0